最優秀賞受賞作品⑤
  選 択
                        Jacaranda

 いじめの種はどこにでも落ちている。思いがけないきっかけによって突然弾ける。それは不運なくじ引きのようなもの。明日の被害者が誰なのか、誰にも分からない。

 新学期、同じクラスになったK子とA奈とはすぐに意気投合した。休み時間、ランチタイム、下校時など、いつも一緒に過ごす仲良し。入学前の不安が嘘のように吹っ飛んで、三人でいると本当に楽しい毎日。

 ある日の放課後。いつものように三人で下校しようと準備をしていると、教室には私たちの他にもう一人、M美が残っていた。彼女に声をかけ、その日は四人で下校することになった。三人が四人になれば、話はもっと盛り上がる。終始笑いながら歩いた。途中、細い道を通る時には前後二列になって、最後は家の方向が同じK子とA奈、M美と私の二手になって別れた。

 その翌日。いつもと同じように登校し、教室のドアを開けた、その瞬間。時が止まったかのような静けさ。違和感を覚えながら自分の席に荷物を置く。既に登校していたK子とA奈の元へ行こうと目をやると、二人がそそくさと教室を出ていくのが見えた。

 半日も経てば、確信するには十分だっ た。なるほど、私は避けられている。しかもK子とA奈からだけではない。クラスの大半が私のことを無視している。それでも初日はかろうじて平生を装った。中には普段通りに接してくれる子もいたので、なんとかやり過ごすことができた。しかしその数も日を追うごとに減っていき、翌週には完全に孤独になった。

 K子とA美には何度も話をしようと声をかけに行ったが、冷たくあしらわれるだけだった。何故こんなことになったのか。突然のことに動揺した。しかし間もなくその答えはM美から聞かされることになる。やはり問題は、あの日の下校時にあった。途中の細い道で二列に並んで歩いた時、並び方は、前にA奈と私、後ろにK子とM美だった。これがまずかった。K子にしてみれば、いつも三人で仲良しだったはずなのに、A奈と私が二人で組んで前を歩き、自分は呆気なく仲間外れにされた、というのだった。

 K子はM美を嫌っていたわけではない。「いつものメンバー」ではないけれど、私たちは皆友達だった。M美を誘ったのも三人で決めたことだ。私としては、四人がどういう並び方で歩くかなんて全く問題ではなかった。仮に自分がM美と列になったとしても、私は一向に構わなかった。それに、そう言うならA奈も同罪のはず。しかしK子とA奈は、最後に二人きりになった際、既に和解しており、全責任が私に押し付けられる形になったようだった。何より驚いたのは、この話を私に知らせに来たのがM美だったことだ。彼女はどういう気持ちでいるのか。彼女にとっても決して気持ちの良い話ではないはずなのに、一緒になって私を仲間外れにしている状況は理解し難い。

 到底納得ができなかった私は、K子に話し合いがしたいと直接持ち掛けた。しかしK子の方は「話し合い」ではなく「謝罪」を待っていたようで、私からの働きかけにひどく失望した様子を見せた。もちろん、K子の気持ちに気づかず傷つけてしまったことは謝ったが、時既に遅しだ。それに「K子の気持ちに気づかずにいた」という言い分が、さらにK子の怒りを買うことになってしまった。

 K子との和解はいつまでも叶わないまま、クラスの状況は悪化して行った。授業でグループワークがあれば、私と組まされた子たちが「最悪。」とはっきり口にするようになったし、他のグループからも「かわいそう。」と声が聞こえた。たまたま目が合っただけでも「見るな!」と怒鳴られたり、用事があって名前を呼んだら「私の名前を口にしないで。」と言われたり。ひとつずつを見れば大した事はないかも知れない。でも何事も積み重なれば大きくなる。学校へ行くのが憂鬱で、胃がキリキリと痛むようになっていった。

 意を決して、担任の先生に事情を話すことにした。先生も、教室内の違和感に気づいているはずだから、きっと力になってくれるだろう。けれど、そんな期待はあっさり裏切られた。

「そんなくだらないことで悩んでないで、もっと勉強したら?」

それが、担任からのアドバイスだった。私は相談したことをとても後悔した。ついに担任からも見放されたんだ。最後の切り札だと思っていたのに。学校に私の味方は一人もいないことを理解した。

 しかし、私の悩みを「くだらない」と切り捨てた担任への怒りは、私を突き動かす原動力にもなった。勉強してやる。勉強して先生を成績で見返してやる。ネガティブな理由ではあったが、とにかくその日から、私は必死に勉強を始めた。やりきれない感情、孤独、憂鬱を埋めるように。その結果、次の定期試験で、成績上位者のリストに初めて私の名前が掲載された。その後はしばらく同じような生活が続いた。私の名前は成績上位者の、より高いところに並ぶようになったが、あいかわらず孤独ではあった。勉強しながら時間が進むのを待つ学校生活だった。

 そんなある日。転機が前触れもなく訪れる。校外学習のグループワークで、

「うちのグループに入らない?」

と、一人の子が私を誘ってくれた。それまでまったく関わったことのない子だった。久しぶりに「余り物」ではなく積極的にグループの一員になったのが本当に嬉しかった。そのグループでの活動を境にして、私は少しずつ新しい人間関係を築いていくことができた。徐々に教室内の氷が溶けていくのを感じた。

 さらに学年末。担任から次年度の生徒会役員に推薦された。今思い返せば、全ては担任なりのエールだったのかも知れない。しかし担任の不親切をずっと根に持っていた私は不審に思い、突きつけられた挑戦状に受けて立つような反抗心で生徒会に入会した。結局それも一つのきっかけになって、私は学校で居場所を取り戻した。

 こうして、いじめは終わった。世の中で起こっているもっと凶悪で深刻ないじめと比べれば、私の経験はほんの短期間の軽いものだっただろう。それでも中学生の少女を、生死を意識するまで狂わせるには十分だった。幸い死ぬ勇気なんてなかったが、

「私が死んだら、皆は後悔するかな。」

と想像するほどには傷ついていた。

 私がどのようにいじめを克服したか。まず、完全な克服はしていないということを強調したい。現にこうしていじめをテーマに文章を書いている。記憶は鮮明だ。過去が消えることは絶対にない。その上で、克服には大きく、ふたつの「選択」があったと言える。ひとつは私自身の選択。もうひとつは第三者の選択。前者は、私自身がある程度のプライドを保っていたこと。後者は、言うまでもなく、常習化していた「無視」を打ち壊してくれた、彼女の行動だ。

 プライドについて言えば、当時の私には不本意だろうが、担任からのアドバイスが功を奏したと言える。たとえ歪んだモチベーションでも、成績上位者に名連ねることが、クラスで消え去った自分の存在を蘇らせた。募る劣等感からも、その順位が守ってくれた。さらに、あの日グループに誘ってくれた彼女が、私を救ったキーパーソンだったことは間違いない。彼女なしに状況が好転することは無かったかもしれない。重要なのは、彼女がしてくれたことが、K子やA美と対決したり、クラスに「いじめを止めよう!」と声をあげたりすることではなく、ただ、私を受け入れてくれたということだ。透明人間の私に、再び色つける一言をくれた。その行動は、他のどんなことよりも有効に風向きを変える大きなエネルギーだった。

 いじめの現場には、加害者と被害者の他に、複数の「どちらでもない者」が存在している。問題解決の鍵はこの第三者にあると言っても過言ではない。誰も好んで関わりたくはないから、なるべく距離を置いて過ごしているだろう。しかし、いじめに遭遇した時点で、無関係の者はいない。味方になって一緒に戦う必要は無い。けれど、見て見ぬふりをするのは絶対に駄目だ。

 声を大にして伝えたい。解決できるのは「あなた」なんだ。加害者でも被害者でもなく、第三者の立場でいじめを眺めている、あなたなんだ。何度でも繰り返す。過去は決して消えない。私の「中学一年生」はいじめの被害者として、私の年表に刻まれている。いじめを認知しているなら「何もしない」という選択肢はあり得ない。

 最後に、こうして私が過去の経験を冷静に語れるのは、幸せな現在があるからだ。K子やA奈と直接対決することは最後までなく、当時願っていた仕返しも叶わなかった。それでよかったと心から思っている。復讐をしても意味がないからだ。誰かに復讐することで自分を穢れた加害者にすることなかれ。どうか自分を大切にしてください。それでも「復讐」が必要なら、被害者が幸せになることこそ、加害者への最大の復讐に相応しい。

 いじめのない社会は遠い。ひとりひとりが自分の選択肢と向き合い、正しい選択によって一歩ずつ近づいていく他ない。



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